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Rabu, 22 Mei 2013

兄 と 私





兄と私
私は、七歳年上(しちさいとしうえ)の兄がいます。(まわ)りの友達(ともだち)は一人っ子が多いので、皆、「アデェさんは幸せだね。お兄さんがいるなんて。」と言ってくれますが、私はそうは思っていませんでした。小さい(ころ)、兄と一緒に楽しく(あそ)んでいても、一旦(いったん)喧嘩(けんか)になると、いつも兄の方が勝ちで、私は泣きながら母の所に行くしかありませんでした。また、私が「僕はどうやってこの世に生まれてきたの。」と父と母に尋ねるたびに、兄が(よこ)から口を挟んで「お前は(ぼく)がゴミ(ばこ)の中から拾った子だよ。」と私をからかいました。そして、馬鹿(ばか)にされた私は顔を真っ赤にして(おこ)り、もう兄とは一生口もきくものかと布団(ふとん)の中にもぐりました。もちろん、兄は(たよ)りになる時もあります。ある日、私は学校で熱を出して、先生に家まで送ってもらいました。その時、父も母も(つと)め先にいて家には兄だけしかいませんでした。兄は、タオルで私のおでこを()やして、(くすり)を飲ませてくれました。その日の午後、兄は学校を休んで私を看病(かんびょう)してくれました。兄に初めてそんなに(やさ)しくされた私は、「兄にはいいところもあるんだ。」と気付(きづ)きました。その夜、母が帰ってきた時には、兄のおかげで私の熱は下がり、気分(きぶん)も良くなっていました。しかし、もっと兄のことを好きになった出来事(できごと)があります。ある日、いたずら好きだった私は、父の部屋からウォークマンを持ち出し、この中は一体どうなっているのか気になって、分解(ぶんかい)しているうちに壊してしまいました。それに気付(きづ)いた私は、どうすればいいか分からずに、兄のところへ行って助けを(もと)めました兄は、私をかばって、それは自分が壊したと父に言いました。しかし、壊れたウォークマンの状態(じょうたい)があまりにも悲惨(ひさん)だったせいか、父はひどく兄を叱りました。でも兄は、弁解(べんかい)もせずただ黙って我慢(がまん)していました。私はドアの隙間(すきま)からそれを見て、怖くなって自分の部屋に()げ込みました。父の部屋から戻って来た時、兄は普段(ふだん)と同じ(かお)を見せて、「何時だと思ってるんだ。早く寝ろ。」と言いました。それから、私の兄に対する印象(いんしょう)は一変しました。今まで、些細なことからお互いに口をきかないこともあったけれど、私が失敗(しっぱい)した時、迷っている時、兄はいつも(がわ)にいて、助けてくれました父と母だけではなく、兄も一緒にずっと私を見守(みまも)っていてくれました。
(ぎゃく)に、私が兄にしてきたことと言えば、りんごを洗う時に兄の分も一緒(いっしょ)(あら)うぐらいのとても小さい事でした。しかし、これから私も一人前になってもっと兄の力になりたいのです。
今から考えると、兄弟というのはまさしくそのようなものではないでしょうか。兄がいる私は本当に幸せです。時々喧嘩(けんか)もしますが、これからも本当に困った時には、お互いに助け合っていきたいと思います。


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